かつてモリブデン鉱が産出されたという
中竜鉱山仙翁谷坑跡と
広野ダムから大河内村落跡を訪れる |
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国道157号温見峠を通って福井入りするも、梅雨の最中で県境に近づくにつれ雲行きが怪しくなってきた。
ポツポツ降り出したり止んだりの繰り返しだが、早めにレインスーツを着る。 |
年に数回は通るおなじみの峠であり、能郷白山の登山口。
この時期は登山者でスペースが満車になることもある。 |
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宿泊は、いつもの麻那姫湖青少年旅行村バンガローサイト。
ブヨなどが多数いて、快適というにはほど遠いが、涼しくて避暑には最適。 |
売店もなく、街まで距離があるので万全の準備で。 |
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翌日は8時過ぎにキャンプ場を出発し、以前にも訪問した仙翁谷へ向かう。
今回は前回に道がわからず頓挫した中竜鉱山仙翁谷坑跡まで行く。
先ずは真名川ダムの天端を通り、ダム東側より、真名川右岸の林道(名称不明)に入る。 |
真名川ダムを渡る。
堤体の黒色が年季を感じさせる、雄大なスケールのダムである。 |
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林道をしばらく南下する。
この林道は途中から林道上若生子・中島線となって、大野市中島で福井県道230号に接続している。 |
持篭谷橋をる。
ガードレールは白いが橋梁本体は赤い。 |
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林道右手に真名川ダム湖が見え隠れする。 |
林道から北西を眺める。
曇天で映えないが、快晴だと湖面の緑が美しい。 |
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真名川ダムから15分ほど走ると仙翁谷橋にさしかかる。
この橋の先はT字路になっていて、左折すると仙翁谷方向で、右折は林道本線である。 |
前回訪問時より欄干が新しくなったように見える。 |
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仙翁谷橋から左に堰堤が見える。 |
右奥に見える道が、仙翁谷の最奥部へと続く林道。 |
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仙翁谷橋を渡り終えたところの分岐。
左折して中竜鉱山 仙翁谷坑跡へ向かう。 |
本線は右折するが、帰りに若生子大橋まで通ることにする。 |
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落石が散乱する林道。 |
先ほどの分岐から東へ向きを変える。 |
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登りが続く林道を更に進む。
このあたりはほぼストレート。 |
左手には仙翁谷川が流れる。 |
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一部分にはダートが残る。
左から藪の間に下る道があるが、旧和泉村との堺となる三坂峠の直下まで続く林道のようだが、道の状態など詳細は不明。 |
これより、仙翁谷坑の入り口までは舗装済みであるが、それより先はダート区間が増す。 |
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やがて左手に小屋が見えてくる。
この小屋から程なく走ると、仙翁谷鉱山跡に入る分岐がある。 |
何のための小屋かは不明。 |
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先ほどの小屋からすぐのところに右急カーブが現れる。
よく見ると、まっすぐに入る廃道状態の道が見えるが、そちらが仙翁谷鉱山跡へ至る道である。
前回訪問時はこの分岐を見落とし道なりに右へ行ってしまったので、たどり着けなかった訳である。 |
草がぼうぼうに生えていて、非常にわかりづらい。 |
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入ってしまえば普通の林道だが、通る車が少ないためか、かなり廃れた雰囲気である。 |
山蛭とかいそうな湿っぽい道。 |
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程なくズリ山が見えてくる。
仙翁谷鉱山跡に着いたようだ。 |
福井弁でいうと、「ひってもんに、わかりにくい場所にあったって」だろうか? 違っていたらごめんなさい。 |
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ズリ山を右手に見ながらもう少し林道を進んでみる。 |
高さ30メートルほどのズリ山だが傾斜はきつい。 |
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路面の石が角張ってきたのでこれ以上進むことは断念したが、徒歩にて少しだけ進むと、道は藪の中を東へ続いていた。 |
先へ道は続いていたが、轍も見えなくなっているので廃道状態となっている。 |
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折角来たので? ズリ山の頂上まで登ってみることにした。 |
見た目の傾斜角度は30°位あろうか。
実際に登るとかなりきつく感じる。 |
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ズリ山の頂上より眺めの図。
「○○と煙は高いところへ上りたがる」とは、正しく自分のことを指すのであった。 |
急傾斜なため、登るより降りる方が困難を極め、後ろ向きで這うように降りた。 |
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仙翁谷ズリ山頂上から東寄りの山側を見た図。
このズリ山の近くに仙翁谷・鎌倉0M抗口があると聞き及んでいたのだが見つけることは出来なかった。
※仙翁谷・鎌倉0M抗口について、場所がおわかりの方がいらっしゃいましたら、トップページの「お問い合わせ」より、是非とも情報をお寄せください。 |
てっきり仙翁谷・鎌倉0M抗口はここにあると思っていた。 |
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東方向を見ると先ほどの林道が奥へ続いているのがわかる。
前述のとおり、この林道はこれより先しばらくのところで、藪漕ぎが必要なくらい荒れている。 |
直下の林道をズリ山より眺める。 |
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仙翁谷鉱山跡の見学後は仙翁谷橋の分岐を南進して大野市中島側に戻る形で、真名川右岸の林道にて若生子大橋を目指す。 |
ダートもあって、真名川ダム~仙翁谷橋区間より走り易く面白い。 |
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若生子大橋が見えてきた。
橋のたもとから先は林道上若生子・中島線となる。
この橋を渡って国道157号を大野市街に出て、池田町と南越前町を経由して、今回の最終目的地となる、旧今庄町の秘境「大河内」に向かう。 |
2015年7月の編でも紹介した若生子大橋。
国道の反対側にある夏の里展望台のところに出る。 |
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国道365号から福井県道231号を広野ダムへと向かい、ダムの突き当たりを左折する。 |
右折すると夜叉ヶ池への登山口へ続く林道となる。
夜叉ヶ池を示す新しい看板が設置してあった。 |
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道なりに進むと、二ツ屋分水堰 (ふたつやぶんすいぜき) が見えてくる。
広野ダムからここまで、およそ5Km。 |
反対側のダム湖を周回する林道からも到達可能。 |
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二ツ屋分水堰に到着。
他目的ダムの一種で、近くの桝谷ダムと導水トンネルにより水量の調整を行っているようだ。 |
敢えてダムと言わず、堰なのである。 |
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天端より下流の西側を見る。
高さ24.7m 堤頂長97.5mの小さなダム(堰)である。 |
天端部は自動車での通行が可能であるが、その先は落石だらけの林道となり、道に迷うこと必至にて深入りは禁物という経験あり。 |
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二ツ屋分水堰を右手に見ながら更に東進する。 |
このあたりまでが福井県道231号のようである。 |
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程なく進むと日野川上流に架かる大河内大橋を渡る。
この橋を渡ったところがT字路となっており、左折して北進すると廃村となった大河内 (おおこうち) 集落跡に向かう林道となる。
ちなみに右折すると、鈴谷川に沿って南進する林道となり、美濃俣丸や三周ケ岳の登山ルートに接続するようだが、荒れた極悪路となる。 |
ここでも十分に秘境の雰囲気なのだが、大河内の集落跡は更に4Kmほど奥に位置する。 |
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橋の銘板には確かに「大河内大橋」と記されている。 |
大橋というほど大袈裟なものでもないような気がするが、こんなに山奥に造ったのだから、Big Project Bridgeなのだろう。 |
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林道の起点。
林道の名称は不明であるが、地図上では日野川に沿って、かなり上流まで続いている。 |
始まりは鬱蒼とした森の中を進む。 |
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ぬかるみや水たまりが多数あって少々走りにくい。
左下には日野川が流れている。 |
雨天には走りたくないと思わせる湿っぽい林道が続く。
こんなところには、山蛭がたくさんいるに違いない。 |
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やがて日野川に架かる橋を渡る。 |
この橋から先は右手が日野川となる。 |
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先ほどの日野川に架かる橋を渡ると、鬱蒼とした森から出て、明るい雰囲気となる。 |
日野川の源流に沿って北上する。 |
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「ゴミステルナ 大河内区」と書かれた看板が現れる。
こんな奥地まで不法投棄にやってくる不埒者がいると思うと、残念至極である。
というか奥地だから捨てにくるのか? |
どうやらこの辺りから先が、かつての大河内集落とみられる。 |
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少しだけ開けた平地になって、左手に作業小屋らしき建物が見えてくる。 |
大変な山奥に人が住んでいたものだ。 |
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何となく生活感の漂う小屋。
温見などの廃村のように、かつての住民が夏の間だけここに来て生活するのだろうか?
なお、村史によると昭和41年に廃村となっている。
村の発足は明治22年に町村制によって近隣の村も含め、鹿見村と名付けられた。
泉鏡花の名作「夜叉が池」にも鹿見村の名が出てきて興味深い。
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ロープが張ってあるので入るのは遠慮する。 |
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村落跡を流れる日野川に架かる丸木橋。
川の向こうには社などがあって、この橋を使って往来があったことなどを他のサイトにて知った。 |
日野川の源流は小川のような細い川となって流れていた。 |
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林道は大河内集落跡から更に北へと続いているが、戻りの時間も考慮して、これ以上の探索は取り止め往路と同じルートにて麻那姫湖青少年旅行村に戻った。
翌日の早朝に奥越を発ち、朝霧の中を国道157号温見峠経由にて帰路につく。 |
道はずっと続いていた..。
引き返すのが少しだけ心残りであった。 |
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今回訪問した仙翁谷鉱山跡と大河内村落跡は、いずれも過去に訪れようとしたが道に迷って未達となっていたところである。今回は国土地理院の地図と複数のWeb地図サービスにて事前に確認したが、仙翁谷・鎌倉0M抗口だけはどうしても見つけることができなかった。それにしても今庄町大河内地区はとてつもなく山深いところにあった。冬期の積雪量は相当なものであったと推測するも資料に乏しく、実生活の写真などはネット上には見当たらなかった。住民の祖先はこの地方に多い木地師がルーツであったのだろうか。なお、両地点ともにアクセスする道が悪路なので、一般の方にはお勧めできるところではないことを付け加えさせていただく。 |
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