西暦807年建立の古刹と
かつての繁栄を偲ぶ面谷鉱山跡
奥越の長大林道を訪ねる |
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今年は暖冬により温見峠の冬期閉鎖が5月10日に解除となったので、暇を見つけて奥越に出かけた。
今回も、根尾樽見からいきなり国道157号に入らず、岐阜県道255号から上大須、折越林道と猫峠林道を経由して国道157号に接続するルートをとる。
今回はこの猫峠林道の紹介から始めることにする。
この林道は、国道157号能郷・黒津間が災害により通行止めになった際には折越林道とともに唯一の迂回路となるが、林道でありながら道幅も確保されており、国道157号の難所である倉見(くらみ)をパスして温見峠方面へ向かうことができるので利用者も多い。 |
通り過ぎ後の撮影にて振り返りになるが、左中央が越波橋で、橋のたもとに林道開設記念碑がある。 |
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上記の林道分岐を右折すると、猫峠と河内谷(こうちだに)にそれぞれ向かう林道の併用区間となる。
程なく進むとT字交差点があり、左折北進する舗装路が林道猫峠線で直進するダートの林道が林道河内谷線である。 |
林道右手は根尾西谷川支流。 |
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猫峠林道は全線舗装にて道幅も広く、落石などの路面状況に注意すれば十分に走り易い。
林道全長は5キロほどで国道157号に接続している。 |
幅員狭小区間は待避場もあり、乗用車同士のすれ違いも容易である。 |
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林道途中に唯一ある滝。(名称不詳)
滝のある方向に道路が大きく拡張されている。 |
根尾大河原寄りに向かって左カーブ途中の右手に滝が見える。
いつも、カーブに気をとられ見落としていたところ。 |
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滝壺の下は人工の貯水槽になっている。
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ここから土管にて林道の下を通って、谷側へ流れているようだ。 |
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根尾西谷川に架かる橋を渡ると、猫峠林道は突き当たりとなって、国道157号に接続している。
右折すると温見峠から福井県境となり越前大野に至る。 |
ちなみに左折すると、根尾黒津と根尾能郷を通って樽見に通じるが、途中の倉見渓谷は、道幅が極端に狭く断崖絶壁にて要注意である。 |
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当日は大野市中据(なかしがらみ)から広域農道を経由して、佛性寺・黒谷観音へ向かう。
遠くに見えるのは、加越の山々。 |
某光学機器メーカー先の中据交差点を左折して広域農道へ。 |
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大野市広域農道は上黒谷で右へ直角に折れ、ショッピングセンター「ヴィオ」方面に続くが、途中に黒谷観音の案内があり左折する。 |
案内看板手前の交差点を左折すると、佛性寺黒谷観音の西側の参拝門に通じ、駐車場もあるのでお勧め。 |
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寺院の西門にある霊場巡りの入り口。
石碑の奥の歩道が88体の仏像を巡るコースとなるようだ。
情報によるとコースは1キロとのこと。 |
黒谷観音八十八ヶ所巡りとして有名。 |
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佛性寺(ぶっしょうじ)本尊。
本尊の十一面観世音菩薩は延慎正人の作といわれ、黒谷観音として親しまれている。
観音堂裏には子宝に恵まれるという「かわそさん」や、撫で仏の「おびんづる様」などがある。 |
古い絵馬の所蔵品もあって、美術的価値が高い。 |
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反対側の東門から見上げる。 |
同じく大野市にある宝慶寺と同様に、名古刹の佇まい。 |
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東門の入口にある、黒谷観音の由来を記した看板。 |
建立に関する歴史が書かれていた。 |
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黒谷観音から林道黒谷河内線にて少しのところに、有名な雪崩防護擁壁がある。
昭和の初めに大規模な雪崩による甚大な被害があって、後に防護壁として建てられたとのことである。 |
林道に沿ってレトロな褐色の壁が長く続いている。
(総延長330m) |
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麻那姫湖青少年旅行村で宿泊して、翌日は早朝から九頭竜湖の南西にある面谷 (おもだに) 鉱山跡へ向かう。
先ずは、福井県道230号にて伊勢峠を目指す。 |
2014年9月の「九頭竜湖・伊勢峠」編でも紹介した福井県道230号。 |
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福井県道230号の白鳥側に近い面谷橋の手前を右折すると、面谷鉱山および面谷村落跡に向かう林道となる。
後に知ったが、林道面谷線と呼ぶらしい。 |
面谷橋の手前から南に延びる林道が林道面谷線で、面谷廃村跡地までアクセスが可能。 |
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面谷鉱山跡に向かう林道の始まりは、比較的フラットなダートから。 |
数日前の雨による水たまりがあちこちにあって一気に汚れる。 |
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林道はやがて面谷川沿いとなる。 |
面谷川に沿って岐阜県境方向に南進する形となる。 |
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林道をさらに進むと右手に鉱山採掘によるズリ山がある。
日本屈指の銅の産出地であったらしく、鉱山が最初に発掘されたのは康永年間は1342~44年。南北朝時代と恐ろしく古い。
「面谷は三菱合資会社が鉱山を経営していた明治22年から大正6年頃までが全盛期であった。最盛期には600戸・3000人が住んでいた。大野町に電気が無い頃、既に面谷川の流れで自家発電し、電話、電信も早くから開通し『穴馬の銀座』と言われた」
との記録が残っている。
やがて九頭竜ダムが建設されたころ、その産出物を輸入に頼るようになってから急速に衰退したようである。 |
轍がはっきり見えてきて、車の往来が頻繁にあるのだろう。 |
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廃坑になっているが、残土を運ぶダンプカーが往来しているようで、鉱山跡地にはパワーショベルが入っていて立ち入ることが出来ず、詳しく探索できなかった。 |
県道がある方向へ北進するダンプカー。
廃坑の寂しさを求めるも、複雑な気持ちになる。 |
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先ほどのズリ山を右手に見ながらもう少し進むと、左手にもズリ山が見える。
この時点で10時頃だが、これから林道奥越線に行く計画があって、面谷村跡地の訪問は諦める。
面谷鉱山住居跡については改めて訪問の予定。
なお、面谷村の消滅に関して、流行病による哀しい記録が残っている。
林道入口からここまでの距離はおよそ4Km。 |
この先、林道は岐阜県境へ向かって続いている。 |
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今回の最終目的地は、福井県内にある林道でも長距離区間を有する広域基幹林道奥越線である。
大野市街から国道158号を東に向かい、勝原の集落から福井県道173号を鳩ヶ湯温泉方向へと進む。
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勝原集落の福井県道173号始点付近。 |
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福井県道173号の下打波から右へ入る道があって、ここが広域基幹林道奥越線の始点となり、旧和泉村の和泉スキー付近まで26.5Kmの道程が始まる。 |
何気に通り過ぎそうなT字路を右折する。 |
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福井県が所有する林道で、県のホームページによると、始点が大野市下打波、終点が大野市朝日前坂。
平均幅員5.0m、延長26.5km(うち25.5km完了)
事業計画平成元年~平成25年となっている。
この林道についての情報が乏しく、工事の遅れにより通行不能区間があるとの噂もあったが、訪問時は全線の走行ができた。
ただし、全体の3割ほどが未舗装状態で、荒れたところや落石も多く、舗装工事などにより、再び通行止めになる可能性もあり、通り抜けには事前確認が必須。 |
よく見ると林道起点の銘板があった。 |
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林道スタート地点は舗装路から始まる。 |
舗装路とダートが交互に出現するも、全体でみるとダート区間は少ないように感じた。 |
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下打波側の未舗装区間は少し荒れている。 |
路面が悪いといっても、大きな凹みはなく走り易い。 |
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前半は延々と登り坂が続く。 |
起点から、およそ2Kmの地点。 |
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下打波を眼下に見る。
遠くに残雪の加賀白山が見える。 |
北の石川県側を撮影。
かなり登ってきたようだ。 |
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さらに標高が高くなり、見晴らしの良いポイントがいくつか見える。
好天に恵まれ清々しい。 |
同じく白山を望む。 |
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ゆっくり走って、新緑の季節を満喫する。 |
まだ林道の半分にも満たない。 |
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登り坂の連続から、やがてフラットになり、ピークは過ぎたようだ。
このあたりで山菜採りをしている人が複数いたが、どんな山菜が採れるのだろう? |
山菜採りをしている人の車は地元のナンバーだった。 |
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林道沿線にある無名の滝。 |
このような小規模な滝は、林道に多く見られる風景のひとつ。 |
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前坂の終点までは、かなりの距離がありそう。 |
舗装の状態が新しい。 |
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文字シールの剥がれかけた看板。
元は建設工事中の表記と思われるが、何処も工事は行われていなかった。 |
文字の剥がれかけた看板は、ひっそりと寂しそうに建っていた。 |
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林道は下りとなって、前坂側の終点が近づいたようである。 |
林道から東方向を望む。 |
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下り坂の連続となり、林道は残り4Km程である。 |
この長大林道も終点が近い。 |
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終点の前坂で、福井・岐阜県道127号に接続する。
ちょうど和泉スキー場の近くになる。
下打波の林道起点から、ここまでの所要時間は、ゆっくり走って1時間30分ほどであった。 |
左上に延びる道が福井・岐阜県道127号にて、国道158号方面へ(道の駅 九頭竜) 左折北進すると、同県道にて岐阜県の石徹白へ向かう。 |
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林道名を見出しとしたのは今回が初めてであるが、一度の訪問で全線走破したときは同じように統一したいと思っている。さて、更新していて気がついたのだが、初期の頃は写真の枚数が少なく、新しいものほど多くなるのは何故か。理由は初期の頃はホームページにする計画など考えておらず、記憶にとどめる程度しか撮影していなかったためである。ホームページを公開して以降、多少なりともアクセスが増えると、趣味に没頭して俄然やる気になるのである。記事の冒頭にも書いたように、越美の峠越えが5月上旬に冬期閉鎖が解除されたので、予定より早い奥越への訪問となり、今回は抜群の好天に恵まれ素晴らしい新緑を堪能できた。次の計画はどのルートで何処を訪ねようか..。 いよいよ夏の到来である。 |
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